つい先ごろ・・・
羆(おやじ)は、女性の肉が好きなんだな。
オヤジを殺ると、くまあらしが、吹き荒れる・・・
お二人のご冥福をお祈りしたい・・・
つい先ごろ・・・
羆(おやじ)は、女性の肉が好きなんだな。
オヤジを殺ると、くまあらしが、吹き荒れる・・・
お二人のご冥福をお祈りしたい・・・
双葉山が日の出の勢いで駆け上がろうと
していたとき。
常に待った!をかけたのが、ボロ錦こと、
横綱玉錦三右エ門。しかし。
ひとたび、玉錦を下したあとの大双葉はその後。
一度たりとも彼に敗れることはなかった。
以前も書いたが。
鶴龍。
きのうの敗戦から、今日の勝利は見えてたよ。
全勝を続けることが、「強い」のではない。
俗に「負けるが勝ち」というが。
日々、負けることで進化する鶴龍を見ていると。
末恐ろしい、大横綱の足跡を辿っている。
羽黒山。
つい、彼を想い出したね。。。
獅子文六さん。
いや、わたしは敢えて岩田豊雄さんと書きたい。
むかし読んだ「海軍」。
ある日突然に新潮文庫を読みたくなって。
市内随一の規模を誇る、書店に出かけたが。
「ない・・・
」。ないのだよ、名作「海軍」が。
慌てて獅子文六、の書棚を探しても・・・
「大番」も、「てんやわんや」もねぇよ。
いや。
獅子文六自体が、「し」行から削除されておる。
当然「く」行の、久米正雄「学生時代」も。
おまいらなぁ
まぁ民間だから、仕方ねーのかもしれねーが。
もう少しなぁ、
昭和の気持ちになってみろっ!て。
淡島千景さん。
駅前旅館もいよいよ、閉店だなぁ
快晴微風気温5℃。
視界良好の、昨日。

集う老若男女約、200名。

前衆議院議員、西川京子氏も、参加。

老いも若きも、日の丸を打ち振って、

市中パレード。

「日本国、バンザイ」

「建国の日、万歳!!」
おおよそ90分間の、行進で。

素晴らしい、建国記念日でした。
引用
【10年に大関獲りに成功した春場所で
今度は初めて綱獲りに挑む。
だが昇進を推挙する横審から早くも
厳しい声が出ている。
「平幕力士が変化するのはいいけど
大関はみんなに範を示さないと。
変化するような大関が横綱になる資格はない。
跳んだりはねたりするのはダメだ」
と、
鶴田卓彦委員長(元日本経済新聞社社長)は
稀勢の里戦の変化にあらためて“注文”をつけた】
引用終わり。
・・・ずっと以前に、時の横綱、朝青龍が平幕相手に
蹴手繰り(けたぐり)で勝ったことがあったが。
相撲七十手に「はたき込み」がある以上、これは
違反ではない。委員長の見識を疑う。
第一、この時期に内規?である二場所連続優勝即、
横綱昇進をちらつかせること自体、このじいさん。
職権乱用も甚だしいわな。
前にも書いたが。
大相撲がガチンコになれば当然、はたき込みや
立ち会いの変化が多くなるワケで、興行として
成り立たないね(笑)まぁ、それを許容しての
技量場所があって、星の貸し借りがなくなる。
当然、
おもしろくないから、客が入らない「負」の連鎖。
千秋楽結び前の「琴奨菊-日馬富士」の一番なんて、
やる前から結果が、わかったよね。
こんな、じいさんの言うとおりに相撲やってたら、
次から次に、休場だらけだな。
黙して語らず・・・
「いまだ木鶏たりえず」。すべての思いを
ひと言に込めた大双葉山の偉大さが改めて
思われるのですな。
久しぶりに千秋楽をまともに三田ですなぁ~
ウハハハハハ~(=^・・^=)
バルト・カイト君、優勝おめでとう!
まぁ雰囲気的には、ボクシング世界タイトル奪取!
的な優勝風景ではありましたが。
お母さんや、奥さんを呼んで、
まぁよかった、よかった。
白鵬さんは、さすがに意地を見せました
目つきが違いましたね。
それはそうと。
魁傑理事長、退任されるそうな・・・
次は誰?だろ。
大相撲。
鶴竜という、力士はなかなかいい相撲取りである。
モンゴルだから、足腰は当然良くて、
相撲勘も申し分ない。今場所こそ、
大関グループが立て込んでいて、なかなか
大関の門まで到達しないが。
玄人筋が見たら、型を持った絶品の
名関脇、といってよい。
ところで。
そのむかし・・・同じような悲運の関脇に長谷川が
いたなぁ
【引用・・・】
四季の花の甥。
小学生の時から土地相撲で活躍した父に炭坑労働の合間を縫って毎日相撲を指導してもらい、それが実って上美流渡中学校では敵無しで、相撲大会では 2, 3年生で個人優勝し、団体でも大将として活躍した。これに喜んだ父から入門を勧められたが、岩見沢市に出て高校への進学を志していたので従わなかった。評判を聞いた荒磯部屋から勧誘されたが進学を理由に断り、次に佐渡ヶ嶽部屋からも勧誘されて断ったが 1週間も説得されている間に父から「相撲はともかく、東京見物ぐらいしたらどうだ」と言われ、それなら良いかと思って附いて行くと無理矢理に入門させられてしまった。
均整の取れた体格で、幕下の時から将来を期待された。
運動神経が良くて前捌きが巧く、左四つ正攻法の取り口だったが下手の技が主で、立ち合いの当たりが不足して突っ張りも無く胸を出すので押し相撲に苦戦し、立ち渋りも評価を落とした。
十枚目昇進直前の昭和37年11月は、宮城野部屋に居た叔父の四季の花と割が組まれたが、大事な場所で有らぬ噂を立てられるのを心配した宮城野が協会に割り返しを申し入れ、了承されて対戦が回避された。
史上初の本名の関脇。
昭和51年 1月10日目に史上初の幕内連続出場1000回を達成した。
番附運が悪く、中でも昭和47年 3月は関脇で優勝(史上初の本名での幕内優勝)し、前々場所は 8勝、前場所は10勝を挙げていたので当時としては大関に昇進しても良い成績だったが、既に大関が 4人も居たので見送られる不運に遭った。強い関脇として名を残したが引退時には「自分では大関に成ったつもりでいる」と語った。
生命運は良く、樺太から引き揚げる時に船から落ちたが助けられ、川に転落しても豪雨で増水していたので頭を打たずに済み、昭和38年11月に部屋で河豚中毒が起きた時は ちゃんこ番だったが腹が痛かったので喫茶店に行って牛乳を飲んでいて助かり、41年 2月には乗る予定の羽田行き全日空機が羽田沖に墜落したが、当人は札幌で雪祭りを見物している時に友人に会ったので乗っていなかった、と強運の持ち主だった。
書道・絵画・歌は玄人並みの巧さで、「みなと港ぶるーす」「蝶の夢」のレコードも出した。
後に理事を務めた。
・・・いわく、は、さておき。
「人に歴史あり」、だなぁ。
どの顔下げて、戦没者を慰霊するつもりなんだろうか?
英霊たちは、慟哭するよ
マスコミで育って、マスコミに葬られた。
三日前のハンバーグ、や、
チーター、など。
おちゃらけておればいいのに、
思想を出して、消されたね。
だが・・・
ゲバゲバ90分の斬新さは、
アナログの輝かしい歴史だったね。
ご冥福をお祈りします。
by aonosato
てんやわんや。